座右の銘「逆命利君」

「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う」本文より

漢の劉向が編纂した『説苑』の中にこうある。

「命に従いて君を利する、之を順と為し、命に従いて君を病ましむる、之を諛と為し、命に逆らいて君を利する、之を忠と謂い、命に逆らいて君を病ましむる、之を乱と謂う」「逆命利君」は「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂う」を略した言葉である。

住友の初代総理事、広瀬宰平が好んでこの言葉を使った。

住友商事の現会長、伊藤正もよくこれを口にするが、広瀬がなぜこの言葉を好んだかを忖度しながら、伊藤はこう語る。

「住友の当主が」まだ象徴的な存在ではなかった頃のことですから、当主に苦言を呈しなければならないことも多かったんでしょうね。そうした時に、上からの命令に逆らっても、進言して住友家の利益を図るのが本当の忠だというわけです。何でもイエス・サー、イエス・サーのイエス・マンでは意味がない。命に逆らわざるをえない場合には、逆らっても、あえて正しいと思うことを言う。そして、君に利することこそ忠なんだということでしょう。つまり、このことは、立場をかえれば、部下から忠言を受けたら、きちんと傾聴しなければいけないということを意味している。

大体、下の者が上の者に「あなた、まちがってますよ」と、おもしろ半分で言えるものじゃないんです。それだけに、言われたら、上の者はありがたいと思って耳を傾けなければいけないんですよ」

伊藤の言うイエス・マンが「君を病ましむる」へつらい徒、つまり「諛者」だが、そうではない「逆命利君」を文字通り実践したのが故鈴木朗夫だった。この部下の直言を伊藤はまた、ガッチリと受けとめたのである。

「下から上にものが言えず、何でもイエス、イエスじゃ、コミュニケーションがダメになり、風通しが悪くなります。商社のように、情報をよりどころに業務をこなさなくてはならない企業は、とりわけ風通しが大事なんですね。上に立つ者が気をつけなければならないのは、忠言をありがたく受け入れる雰囲気をつくること。つまり、上に逆らって言ってくれる関係にしなければいけないということですね」 こう語る伊藤は、およそ無趣味の仕事人間である。それに反して鈴木は、ジャン・コクトーに心酔し、コクトーが死んだ時には一週間、黒いネクタイで出社したという変った教養人だった。仕事は抜群にできたが、ワーカホリックの日本人を軽蔑していた鈴木と、「伊藤さんは教養が足りない」とまで言われながら、そうズケズケ言う鈴木を引き上げていった伊藤。この二人の間にどんなドラマがあったのか。これから私はそれを追跡していきたい。

ちなみに、フランスにあこがれていた鈴木は、自分を「ムッシュウ」と呼ばせていたという。

佐高信著『逆命利君』岩波文庫まえがきより引用