持論

野田首相所信表明演説

9月第3週 2011/9/14

 

野田首相所信表明演説

 

 政権交代から二年間で三回目の所信表明演説を伺った。あるブログを見てなるほどと思ったのは、「AKB48でも70日以上かけて総選挙をやるのに、一国の総理が五日で決まるのはとても不思議だ」というものだ。

 

鳩山、菅総理から三人目の野田総理の演説は、ほとんど前任二人の演説と代わり映えはせず、マスコミがどうしてそのことを言わないのかが不思議である。野田総理誕生以降、「どじょう」や「低姿勢」など、およそ政治家としての資質や政策には関係ないことばかり報道するマスコミのレベルの低さには呆れるばかりである。おそらく海外メディアならば、徹底的に「政策」や「過去の政治家野田氏の発言・考え方」「鳩山・菅と一体何が違うのか」などについて、論じているであろう。

 

 低姿勢で、議論と対話を重視すると言いながら、難題山積の臨時国会は四日で終わるという。このことに関しても、我々野党の批判を客観的に報じているが、主体的にこのこと自体がおかしいという報道は見受けられない。

 

我々が与党時代は、与党という権力に対して、国会における野党はもちろん、マスコミも容赦なく批判し続けた。政権交代を「扇動」したのも今のマスコミの力が大きいと思われる。遡れば、戦前の戦争への扇動と、戦後の軍部批判、を瞬く間に立場を代えて報道するマスコミの姿を思い出せば、今は逆に政権交代をいまだ正当化したいという筋を通す姿勢は正直なのかもしれない。しかし、マスコミの本来の姿は、「国民の知る権利」を代表し、「報道の自由」を振りかざしている限りは、現政権の二年間の失態や検証、野田総理の財務大臣時代の円高対策への失敗、著書における「総理交代時には解散すべし」との考え方をどうして、国民に披露し、報道しないのか不思議で仕方がない。

 

権力の監視役は「与党」と「マスコミ」そして「野党」

 

 今までの政治経験で思うことは、三権分立という権力監視機能はあるが、実際は総選挙で勝利した立法府たる政権与党が、議員内閣制のもとで政権与党が行政府を担うものであり、行政府を監視する役割は立法府における「政権与党」が一番影響力をもつということである。

 

私も与党時代には、常に権力者である政府に対して、批判的にみながら、時に自由主義が強い傾向にあっては規律を主張し、時に外交において国家主義的に傾けばリベラルの主張をし、バランスをとる役割を自負していたものである。同じ党内においても常に権力の暴走や偏向に対して、抑止する力が党内において働いていたように思える。

 

実は自民党政治は政治主導的政治であった

 

現政権をみていると、マスコミの監視機能は報道にみられる通り大変稚拙な報道が多く、与党に至っては、積み重ねた現場の政策議論が闘わされることなく、政治主導とは名ばかりで、官僚主導に拍車がかかっているように思える。実際この点についてマスコミは全く検証していないが、自民党時代の政調部門における議論のほうがよっぽど政治主導の色合いが強く、皮肉にも民主党は自民党の政調システムに習う形に変化している。

 

また最近の報道をみても、鉢路大臣発言について報道機関自らが火をつけ炎上させたにも拘らず、それを野党が批判すると、批判ばかりするなとの報道がなされる。 

最も、最近の政治家の発言やそれを報道するマスコミにおいて致命的な問題は、極めて昔では当たり前のことが、さも真新しいことのように発言し、報道されることである。

 

「政治主導」なんて昔では当たり前であり、与党が「誠実」に対応することなんて当たり前であり、「被災地支援」も当然政治全体で、国民全体で担っていくことも、まさしく政治の使命であることは当然のことである。重要なことは、小沢か反小沢かだとか、権力闘争のショータイム、政治手法や手段が騒々しく語られ報道されることではなく、国家に対して国民に対して政治として結果がしっかり出ているか、将来に向けての布石がしっかり打たれているかを、国民の皆様に知らせ、そして判断の一助となることである。

 

政治の世界では、政治主導の対極は役人主導であるが、日本の役人は極めて献身的であり、政治に対しては非常に素直であると思う。問題は、役人を唸らせる、納得させる、人間力、政治力をもった政治家がいないということであり、いつの時代も政治主導という環境にかわりはなく、無能な政治家や政党が都合よく役人批判をするための道具として「政治主導」という言葉を乱用すること、マスコミが役人を「天下り」などでリンチをすることでは、国家を支える気概をもつ役人は益々やる気をなくし、結果国全体がおかしくなり、国民に全てかえってくるものと危惧をもつ。

 

政権交代して以来、役人の間では、自民党時代より楽になったという声がどこかしこで聞こえてくるのは何故だろうか。言葉だけの政治主導、実際何も知らない大臣、副大臣、政務官の下で、役人は「指示待ち」になる。自ら考え国家のために忠誠を誓い、献身的に仕事をする役人が激減しているのだ。無能な政治家が政府高官になれば、政策は進まず、混迷を極めることは、民主党政権下における震災対策でも明らかである。野田政権においても、自らを素人だという防衛大臣のもとでどうして政治主導がなされるのだろうか、シビリアンコントロールはなされるのであろうか。本当に心配である。

 

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